Shunpei Higashi

自分のジムカーナ歴は古くジムカーナらしいものに取組はじめたのは1979年に16才で中型自動二輪免許を取得したときから始まります。

当時は暴走族が流行しておりこれを心配した親が近所で白バイ警官の出入りしている新川輪業というオートバイ店でオートバイを購入することを条件にHONDA CB400ホーク3の頭金を出してくれました。

このオートバイ店に親が口添えしたかどうかは定かではないですがバイク購入と同時にこのお店を中心に活動している「三鷹セーフティークラブ」と言うクラブに所属することになりました。

このクラブは毎月の警察署主催の二輪講習会の参加とツーリング、ジムカーナ大会の参戦を主に行っているクラブでした。ここで現在のパワーバンド木村の木村社長と知り合います。そしてこのクラブは後にチーム限界へと変わりました。

クラブ員のほとんどはKwasaki Z650やZ900と言った大型バイクに乗っていました。新川輪業の従業員もクラブ員ということもありお店を中心にみんな集まっていました。帰り際に店の前の5m~6mの道で足つきターンを目の当たりで見た時には驚きとともに自分もあのように軽々とバイクを操りたいと思いました。

そして教習所で免許を取得したばかりなのにまたスラーロームや一本橋といったことを警察主催の安全運転講習会で練習する日々が始まったのです。せっかく卒業したのにまたかよ・・・って思ったこともありました。

教習所の練習と一番違ったのはローギアーだけで全開で走る完熟走行でした。これは免許を取得したばかりの初心者にとってかなり難しいく感じましたがもっともスリル感が味わえる練習で好きでした。

講習会には毎回かかさず参加していましたので教官や白バイ隊員に顔を覚えられ地元で出会う白バイ隊員はほとんど顔見知りになりました。そして街で顔見知りの白バイ隊員と出会うと挨拶をするようになりました。

暴走族の知り合いから先輩から頭数を揃えろと言われたと集会の誘いが来ました。しかし白バイ隊員の多くが顔見知りですから暴走族の集会に参加できるわけがありません。これが親の思惑だったのでしょうね。

府中試験場の前の道でスピード違反で止められたことがあります。このとき待機していた白バイ隊員2人とも顔見知りでした。この時「おまえ!なんでこんな所にいる!」と赤い棒でこずかれまくりました。

1年ほどたち中型バイクで満足していた自分でしたがクラブの先輩から限定解除の試験を受けに行くことを勧められました。限定解除など自分には無理と考えていたのですが受けに行くことにしました。

そして17才の春に8回で限定解除を取得することができました。当時の暴走族ブームで若年の限定解除は至難の業と言われていた時代でしたから受かったときの嬉しさは大きかったです。

免許証の裏に「限定解除」とハンコを押されるだけなんですけどね。受かったことが信じられずに試験場のトイレに入って免許の裏のハンコを見つめてニヤニヤしていた事を覚えています。

クラブ員だったかお店を通した知り合いだったのか忘れたのですがKawasaki Z750を5万円で運良く譲っていただきナナハンライダーの仲間入りをしたのでした。当時17才でナナハンに乗っているのは珍しく町内の話題になったようでした。

8の字などの基礎練習は調布飛行場の片隅で行っていました。写真は調布飛行場の片隅でZ750で練習をしている様子です。

Z2

自分がジムカーナ大会に参戦しはじめたのがいつ頃かよく覚えていないのですが確か16才から17才の間だったと思います。大会は大井競馬場の駐車場で年3回開催されていました。

当時のクラス分けは免許制度と同じようになっていました。Eクラス以外はダブルエントリーが可能になっていました。少しでも多く走りたいのでBクラスとCクラスをダブルエントリーしていたのを覚えています。

Aクラス 125cc以下
Bクラス 126cc~400cc
Cクラス 401cc以上
Eクラス エキスバート認定を受けた10人のライダー

入賞は各クラス上位6名でした。自分の成績はよく覚えていないのですが入賞など出来るレベルではありませんでした。表彰式で入賞される人をうらやましく見つめていたのを覚えています。入賞することよりも商品をもらっているのがもの凄くうらやましかったです。

自分もいつかは入賞して商品をもらいたいと思ったのです。逆の言い方をすると入賞しても商品がもらえなかったらその気は半減していたかもしれません。若い頃の物欲って凄いものがあると思います。

Z750は良いバイクでしたが重い車体とレスポンスの悪いエンジンでジムカーナで戦闘力のあるバイクではありませんでした。当時早かったのはZ650通称ザッパーやW650でした。

そしてサッパーの小型軽量のコンセプトを引き継いだZ750FX2が発売されるとあっと言う間にジムカーナ主力バイクとなっていきました。

18才の年にZ750FX3を購入しました。いままで重い重いZ750を乗っていたこともありFX3の軽量な車体は戸惑うことなく乗りこなせました。今までの不振な成績が嘘のようにCクラスで入賞常連者となりました。

この頃BクラスははKwasaki Z250FTでダブルエントリーしていましたが不思議なことにこちらでも優勝か準優勝をコンスタントに獲得するようになりました。

当時はタイムが排気量に比例していましたから非力な250ccで馬力のある400ccより早く走れるのが不思議でなりませんでした。

この頃に三鷹セーフティクラブはチーム限界と名前を変えたように記憶しています。クラブのミーティングは営業の終わったお店で行われていました。バイクに囲まれながらチーム名を考えたりした思い出が残っています。

当時のジムカーナ大会に参戦しているクラブには東京ゴールデン、ハンター等が記憶に残っています。翌年に水銀灯の下で練習していることから水銀灯というチームができたりしました。

そして翌19才の年に自分はエキスパート認定をされました。当時10代のエキスパート認定は初めてだと言われたように記憶しています。

この時チーム限界のエキスパートは木村 香一、加藤 久雄、東 春平の3名でした。この頃自分の影響で友人も数多くチーム限界に入部しており自分をきっかけとして集まっている仲間を東一派と呼ばれたたくらいの結束力のあるグループとなっていました。

写真は1984年当時の仲間たちです。

yanagisawa

当時はオートバイだけでなく夏は海へ冬はスキーへとみんなで遊んでいました。写真の右端は20代の木村さんです。またクラブ員だけでなく兄弟や友人や彼女など気の合う仲間が集まって遊んでいました。ちなみに左から2番目は自分の妹です。

kimura

自分はバイクに乗る仲間が一人でも多くエキスパートになれるように自分の経験やノウハウを積極的に伝えました。その結果なのかはわかりませんが10人のエキスパート認定者のうち6名までチーム限界のクラブ員という時代を経験しました。

この頃は週末はケイシュウニュースと言う競馬新聞の配達のバイトで向島にある新聞社から刷りたての新聞を積んで府中競馬場まで20数分の記録を樹立したり西部警察と言うTVドラマの白バイ隊員エキストラをしたりとバイク三昧な青春時代を過ごしました。

Z750FX3は2台乗り継ぎGPZ750に乗り換えました。

GPZ750

オートバイに一生乗り続けようと誓い合った仲間ですが仕事の影響や家庭の事情などで次第にオートバイの情熱が冷めてゆき26才くらいでバイクを降りてしまいました。

その後オートバイのことはすっかり忘れて仕事に夢中になっていましたが1996年に加藤 久雄さんからまた一緒にジムカーナをやろうと誘われたのがきっかけで数回大会に参戦しました。このときちょうど売りに出ていたNSR250R SPを紹介してもらい購入しました。

最近分かったことですがこの時矢嶋さんが全盛期の時代でした。ぼくが10年ぶりに参戦してC2級に昇格した1996年ダンロップ・オートバイカップジムカーナ大会 Round-4では矢嶋さんが総合優勝していました。

しかしジムカーナへの気持は盛り上がらずにNSR250Rは街乗りバイクとして利用するようになりました。2002年仕事仲間がバイクにカンバックしたのがきっかけでNSR250Rでツーリングに行くようになりました。

NSR250Rは街乗りしか使っていませんでしたから初めて走る箱根のコーナーリングの楽しさを再発見しました。ツーリングだけでは物足りなくなりブーツやつなぎなど大切に保管していたのでそれでサーキット走行を2~3ヶ月に1回くらいのペースでするようになりました。

写真は2002年に富士スピードウェイのものです。この日はあいにくの雨で最終コナー手前のS字コーナーで転びました。背中を強く打って久々に呼吸困難になったのを覚えています。

fuji

そして2003年2月にネットで見つけてエントリーしたミシュラン・モーターサイクリスト・JTC杯ジムカーナ大会 Round-4でとみーと知り合いました。車検の前にテーピングに使うテープを忘れて借りたりしました。

この時の会話が「ぼくは昔やっていたのですがもの凄く久しぶりにエントリーするのでかってがよく分からないのです」とみーは「ぼくも初心者みたいなものですからなにか困ったことがあったら声をかけてください」といった感じでした。

この大会でとみーは総合優勝します。これを見てぼくにもできるかも・・・なんて本気で思いました。これが縁で5月にプライム レーシングに入り第2のジムカーナ人生が始まったのです。

これは1996年にC2級に昇格してから7年1989年にバイクを降りてから17年のブランクになります。

今でもたまに昔のことを思い出すことがあります。思い出そうとしても20年前後も前のことって意外と忘れていて思い出せないものですが何かの拍子にフッと思い出したりすることがあります。

当時の友人に電話をかけて昔の話しをしましたが覚えているポイントが意外と違っていたりしました。相手が覚えていて話してくれることがまったく自分の記憶に無かったりします。

たとえば今から約20年後は今の事ってけっこう忘れてしまうものなんでしょうね。人生と言うか人間なんてそんなもんなのかもしれませんね。

2006年の夏に撮った家族写真を掲載します。

2006

どうでしたか?自分の昔話。もっと色々な出来事や思い出は沢山あります。思っていた以上に書けないものですね。いざタイプしはじめると意外と書ききれないものです。昔のことはまた機会があったら書いてみたいと思います。

今回の記事を書くために昔の写真を友人から借りました。ありがとう。その中に自分のブログで話した初恋の彼女の写真がありましたので掲載します。おそらく今街で彼女に出会っても気が付かないと思いますがもし彼女に出会ったならば「君を幸せにしてやれなくて申し訳ない」と謝りたいです。

名前は「ふみ」と言います。もし心当たりの方がいらっしゃいましたら一方頂けるとまじめに嬉しいいです。

fumi

みなさまのオートバイライフが良い思い出になりますように♪