kaori Takashima

突然ですが私達は何故速く走りたいと思うのでしょう。 あるA級選手は「自己実現」と言っていました。なりたい自分=オートバイで誰よりも速く走る自分になることが、自分という人間を人間たらしめる、本能とは関係のない欲求だと。

ところで、「速く走る」ということがどういうことかと考えてみると、ジムカーナの場合“スタートしてから、ゴールするまでの『時間』が早ければ早いほど”(PRIME Column Vol.2より)「速く走っている」ということになります。

不思議なことに多くの選手が「気持ち良く走る」=「速く走る」ではないと認識しているようです。

このことは私も覚えがあります。

気持ち良く走れてもタイム(=『時間』)があんまり良くなかったりすると同時に、“必死になって転びそうになりながら”(PRIME FAQ A8より)、しっちゃかめっちゃかになりながら、怖い思いをして出たタイムが速かったりするのですよね。

このタイムというものは、芸術(ゲージュツ)や法律(ホーリツ)と違って、どんなひねくれた屁理屈をもってしても絶対に否定することの出来ない絶対的な記号であると同時に、他人と比較しないと速いのか遅いのかわからない相対的な概念でもあり、なんだか矛盾したもののように思います。

競技に取り組む選手達は「気持ち良く走りたい」よりも、怖い思いをして命を削ってでも「良いタイムを出したい」と思っているようです。

つまり「速く走るのが気持ち良いから速く走りたい」のではないようです。
ましてタイムは走り終わってから初めてわかるのです。
タイム、とは、リアルタイム、でないのです。

逆に命を削って怖い思いをしたいのでしょうか?
答えはNO。だったら今頃暴走族やってます。

速く走れると何か良い事があるから?
でも私達はプロではないからお金のために走る人はいない。
速く走れてもお金は手に入らないし
お腹もいっぱいにならないし
寿命も延びないし(むしろ縮まる?)
時には痛い思いもするし
世界の差別もなくならないけど。

私?

私がもっと速く走れるようになりたいと思うのは、悔しいから。

これを書いている今の私は、先日の大会で朝から「今日は絶対昇格します!」などと豪語しておいて出来なかったところなのです。

悔しくて情けなくって悔しいから、ぜったい速くなってやる!!と思うのです。

だけど、ジムカーナデビューしたての、昇格なんてとんでもなかった頃と比べたら今の方が断然楽しい。そう、楽しいのです。

誰かと競い合ってみたり、自分よりずっと速い人の後ろを走っていたら何かが分かったり。
もっともっと、今よりも速く走れるようになったら違う景色が見えるのかもしれない。

今よりもっと楽しいかもしれない。
その、見た事のない景色が見たいから、もっと速く走りたいと思うのでしょう。

そして「速く走りたい理由」も変わっていくのかな・・・と想像してみたりするのでした。